「哲学の道」 人はどのようにして動きを学ぶのか?
「哲学の道」
京都大学の近くに、「哲学の道」と名付けられた遊歩道があります。
『脳と身体の動的デザイン』(多賀厳太郎)という本を読んでいて、その「哲学の道」を思い出しました。
哲学なんてピラティスには無縁とお思いでしょうが、トレーニング理論も時代と共に進化していくので、難しい本に食らいついて消化不良を起こしたりもしています😅
人はどのようにして動きを学ぶのか?
例えば、《目の前にあるものを見て、そちらに向かってすっと手を伸ばす》という動き。
人がこの動きを獲得するのは、生後4か月以降だそうです。
先の本には、乳児がこの動きを獲得していく過程の腕の運動軌跡を測定した研究が、紹介されていました。
それによると、活発に自発運動をする児の腕の動きは、始めは何度も曲がりくねって不必要な動きをしていたのがだんだんまっすぐな動きに変化していったそうです。
それに対して、あまり自発運動を行わない児の腕の動きは、最初から不必要な動きはないが、始めはゆっくりと行われ、だんだんと速い動きに変化していったそうです。
この研究が示唆するのは、運動獲得の過程は一通りではなく、多様な可能性の中から、個性に応じて適切な軌跡が選択されていくという考え方です。
私たちが日常的に意識もせずやっているこんな動きも、どのように獲得されるのかという機構については、まだまだ分からないことが多くあるようです。
分からないことが多いからこそ、科学に基づくトレーニング理論をできるだけ学んで、自分なりの仮説を持ち、そのエクササイズがその方になぜ必要なのかという理由を自分の中ではっきりさせた上で、レッスンをしたいと思っています。
そのために、同じエクササイズでも、お客様や提供する場面などよって、少しずつ変えたりもします。
人によっても、場面によっても、反応は変わってくるので、想定外の反応が起こることもあります。
何でそうなったのかを探るために、頭の中は???だらけになります。
レッスンが終わってしばらくしてようやく、「もしかして…」と気づくことがあったりして、「まだまだだな~」と落ち込むこともしばしばですが、その一つ一つの気づきが財産だと思っています。
「大いなる春」
ということで、「哲学の道」にもどりますが、銀閣寺から南禅寺の方に向かって歩いていくと、最後の方に小さな句碑が立っています。

「大いなる春といふもの来るべし」(高野素十)
「哲学の道」を必死で行って、最後に来る「大いなる春」は、私にとってはお客様の笑顔かな~
最後にいいことを言ったんだけど、最後まで読んでくれた人いますか~?